
20年の時を越え、新しく賃貸住宅として生まれ変わった「広尾の家」。2人の建築家による、言葉なき対話から再生された空間のお話を、建築家 蔵楽友美さんへのインタビューに添えてお届けします。
――この住宅は、建築家の早川邦彦さんが設計された個人住宅。つまり蔵楽さんからすると、別の建築家が設計した住宅をリノベーションするという事になります。難しい部分もあったかと思いますが、最初どのようにアプローチされたのでしょうか?
「広尾の家」のリノベーションの相談を頂き、私はすぐさま現地へ行く前に、まずは「広尾の家」について調べることにしました。建築家 早川邦彦先生(以後、早川先生)は、安藤忠雄先生などと同世代であり、アトリウム、ラビリンス、用賀Aフラットなど、所謂デザイナーズマンションの先駆けをつくった方です。早川先生の代表作であるアトリウム(1985年)は、中庭形式の集合住宅で、建物が幾何学的「要素」となって中庭を取り囲んでいて、パステルカラーが割り当てられています。それは、ポリクロミー(多彩装飾)と呼ばれるものです。ラビリンス(1989年)という集合住宅も同じ手法だと思います。この多彩なパステルカラーの感じは、バブル期の「早川節」と言えるかもしれません。街に対しての中庭(=内部)に華やかで作りこまれた世界が展開します。早川先生の建築彩色は、このパステルの雰囲気のほかにも、成城の3軒の家シリーズ(1982,83,88年)や用賀Aフラット(1993年)で見られる「くすみカラーとコンクリート打放しのコンビネーション」や、様々な作品でアクセントとして鮮やかな青、赤、黄をお使いになられるなどがあり、要素と色の関係はいつも早川先生の建築のテーマになっていると思います。幾何学に、鮮やかな色を組み合わせて風景を創ったアトリウムやラビリンスと同時期に設計されたのがこの「広尾の家」で、GA HOUSES 26に掲載されていました。早川先生のコンセプト文がこちらです。
―敷地というものは、エレメンタルなパワーをもつ。この住宅は、まさに敷地のもつ固有な条件をいかに最大限利用するか、ということから発想されている。東京の中心に近いが、静かな住宅地の中にある敷地は、4m幅の袋小路の突き当りに位置する。そして、南側は緑豊かな聖心女子大学のキャンパスに接する。南全面にたちふさがる“緑の壁”に対峙し、北側に“コンクリートの壁”を立ち上げ、そのふたつの“壁”の間に、住まいとしての場をつくる。居間・食堂を2階のレベルに持ち上げ、袋小路の突き当りに階段をもうけ2階レベルに直結させる。そして、白い大理石が貼り巡らされた2階の床の上には、軽い屋根群がかけられる。大小のヴォールト屋根は、その下の“場”の機能をやわらかく規定するものとなるだろう。さらに、北側とは対照的に、南側の緑の壁に対し極力開放的な構成とする。それに対し寝室群のある1階レベルは壁量の多い閉鎖的なものとする。両者の違いは、この住宅に奥行きのある空間体験を与えるものとなる。・・・このような発想は、すべて敷地の持つ固有な条件と密接な関係を持つ。-(GA HOUSES 26より引用 出版社:ADAエディタトーキョー)
――このコンセプト文やその他の資料からどんな事を感じ、早川先生の設計意図をどのように理解しましたか?
「広尾の家」をGA HOUSESで初めて拝見したとき、やっぱりこの建物も「要素と色」なんだなと思いました。外部は鉄骨フレームとコンクリート打ち放しで早川先生らしく、一方内部(インテリア)で意識されているのは間違いなくル・コルビュジエ(初期)のポリクロミーだと思いました。ところが、図面と写真に添えられたテキストを読んでみると、色については何も書かれていません。テキストの主旨は、隣地の緑を“緑の壁”と見立て、それと対峙するように“RC壁”を立上げ、その間に開放的かつ守られ感のある住空間をつくるというものです。図面の中で追いかけていくと、 “RC壁”側に外壁が2枚。視覚的には閉じつつも、この2枚の壁の間から自然光を取り入れ、続いてインテリアの要素として“織り重なる壁”があり、階段やトイレの機能がこれらの壁の間に上手く配置されているのがわかります。空間全体は2.4mの均等スパンで整理されていて、その中の要素、サッシの高さ2790、照明器具の高さ2400、建具の900…等々、それぞれの数字もきれいです。直方体の造作家具も幾何学要素のひとつで、それらにも美しいプロポーションが与えられています。さらに室内からファサードのスクリーンには軸線がきっちり通っていて、なんとなく成り行きでできているような部分は一切なく、計算された美意識が行き届いていると思いました。
――その上で、はじめて広尾の家を訪れた際の印象や、その時の感覚を教えてください。
実際に建物を見に行ってみると、GA HOUSESに掲載されていた状態とは様変わりしていました。外部の鉄部は秩序なく青色が塗りたくられていて、内部の壁色も変更されてしまっていて、あまり良い印象ではありませんでした。キッチンや浴室の設備が古く傷んでいるのは時の流れで仕方がないと思いましたが、当初の壁色が失われ、別の色になってしまっている光景には心が痛みました。
――そうなんですね。その後、設計を進める上で早川先生とやりとりはされましたか。
早川先生にはどうしても着手前に、手を入れることへの許可を頂きたく、ご挨拶に伺う機会を打診しました。お電話で、事の経緯、自己紹介、ご許可についてお話をすることができ、先生は一言、「どうぞおやりになってください。」と、仰ってくださいました。学生時代からお名前を存じ上げていた早川先生、この機会にぜひお目通りしたかったですし、案も見ていただけたら、、、という淡い期待もあったのですが、それは残念ながら叶いませんでした。しかし、「どうぞ…」の一言と優しくて渋い雰囲気のお声は、世代がかなり下の私をひとりの設計者として認めてくださったような、それと同時に、甘えず自分でやりなさいと諭してくださったような気がしました。早川先生の優しさと厳しさの両方が感じられ、それがとても私の励みになりました。
――今回のリノベーションの設計で特に意識されたことは何でしたか。
早川先生が構築された美しい幾何学要素とそれに与えられた色、これをリノベーションでどう取り扱うかが私のテーマでした。
「かたち」については、特にメインの2Fでは手を加えるべきではないと思い、あまり触らないようにしましたが、途中の改装で付加されたり、変形させられていた部分を元に戻したほか、1Fでは水廻りや寝室のプランを変更しています。ここはさほど悩むことなく案が組み立てられました。一方「色」をどう着地させるかは難しく、時間がかかりました。インテリアに与えられたポリクロミーは80-90年代の「デザイナー住宅」に必要な要素だったと思います。当時はデザイナー側がその住宅の世界観をきっちり構築して提供することが求められていたからだと思います。早川先生が、広尾の家になぜコルビュジエの色を持ってこられたのかは今でもわかりません。先生は若いころ、画家を目指しておられたとのことですので、それがあってコルビュジエを特別な存在としてお考えなのか、であれば、ヴォ―ルト天井をどう取り扱うか、コルビュジエの自邸アトリエやジャウル邸を研究した方が良いか?等々、いろいろと考えてはみましたが、どうして広尾の家にこの色を持ってこられたのかは、やはりわかりません。ひとつ言えるならば、以前のリノベーション時点でこれらの色が変更されて(塗り替えられて)失われてしまっていたのですが、これをもう一度早川先生の色に戻すというのは何か違うだろうなという直感がありました。とはいえ、最終的な着地点の「全部白にする(色を与えない)」と決断できるまでには、紆余曲折がありました。なんといっても「要素と色」が早川先生の空間のテーマですから、ここで色を使わない、早川先生のテーマの半分を取り去ってしまうという選択肢は間違いではないかという思いがありました。ですので最初は、何とか色を使わなければと思っていました。それぞれの要素に多彩な色を割り当てるという考え方では、いくらやっても早川先生やコルビュジエの真似事になってしまうので、何か現代なりの新しいやり方がないだろうかと考えました。個々の色を割り当てるのではなく、グラデーション塗装を使ってみてはどうか、多様な色ではなく多様な質感(つや、マット)を割り当てるということに読み替えたらどうか、現在の建物オーナーの好みや人柄を根拠にしてはどうか、塗装ではなくタイルや木など素材の質感でやったらどうか、壁を面の概念に分解して塗り分けたら更に抽象化されるだろうか等々スタディしてみましたが、見ての通り、これはまったくうまく行きませんでした。どうスタディしても主張が激しく、やり過ぎな感じに見えました。
――色々検討していく中で、色を与えないという選択に進むきっかけは何だったんでしょうか?
工事中ですらその部分を保留にしながらスタディを繰り返していたある日のこと、創造系不動産の高橋さんから立ち位置を変える一言のアドバイスがありました。それは、「この仕事は保存修復ではないよ」というものでした。
なるほどそうかと改めて思い、それならば私は建築家ではなく生活者が主役になる家として再生させたいと考え、やっと自信をもって、色を与えないでいくという決断ができました。2018年の広尾の家には賃貸住宅としての価値が求められていて、1989年の人たちが求めていた構築された空間ではなく、現代を生きる人たちに合い、賃貸住宅として市場に出たときに多くの人が「住みたい」と思える空間に着地しなければならない。ということは、ここに「私」の主張がでてきてはいけなくて、かつ、恐れずに言うと、早川先生ご自身の「色」も控えてもらった方が、生活者が自分の世界をつくりやすいはずだという考えに至りました。早川先生の色に戻すのではなく、別の色を与えるのでもなく、白でまとめたことで、早川先生が与えた「かたち」がより生きて、着色ではなく光と影によって先生の美意識が表現される結果になったと思います。
――2018年の「再生」で、新たに蔵楽さんが付け加えた要素はありますか?
早川先生の美しい「かたち」には少し緊張感があると思い、住宅らしさが出るように付け加えた要素があります。例えば、家具のツマミ、引戸の手かけ、棚板の先端のウォルナット材。借り手が自分の暮らしを想像しやすいように、「私」の色が出ないようになるべく控えめに…と考えて、ほんの少しのさじ加減です。
外部の門扉やフェンスは新しい要素として必要になったので、これらは早川先生が使われていたのと同じ材料(エキスパンドメタル)を用いながらデザインを考えました。外構の付加的な要素として自由度が高かったので、前からやりたかった材料の使い方(エキスパンドメタルをダブルで使う、R面を使う)をしてみた部分です。本体のデザインに対し控えるスタンスは変わらず、誰にも気がつかれないですが、実はやりたいようにやった部分です。
――完成後、早川先生に見て頂く機会はありましたか?
竣工後、早川先生に、出来上がった空間を収めた写真と手紙を送ったのですが、少し時間が経ったある日、一通の葉書が届きました。それは、早川先生からのご返信でした。先生の直筆で一行お礼の言葉が書かれていて、絵柄は仙厓の「○△□」。そうか、〇△□か… やっぱり早川先生かっこよいな、と(笑)。なんというか、大きな方だと改めて思いました。お返事をいただけて、本当にうれしく、この仕事をやらせてくださった先生にも、オーナーさんにも、心から感謝しています。
「幾何学の重なり」に通じるような仙厓の代表作「〇△□」。これがわかるか?と問いかけてくる機知に富んだ禅画。元々仙厓が好きだった蔵楽さんにとって、この葉書は尚更特別なものとなった。
編集後記
早川先生と蔵楽さんの、言葉なき対話は、どこか儚くも愛のある、そこにしかない美しいものだと感じました。敷地やその空間の持つ魅力的な要素を、丁寧に読み解き、つむぎ取ることができるのは、建築家の持つ力であり、誰しもが持っているものではありません。だからこそ私たち建築家住宅手帖では、より多くの方に、建築家がそこで何を思い、何を考え、どのようにしてこのカタチにたどり着いたのか、ひとつひとつを丁寧につむぎ取り、皆様にお届けしていきたいと思っています。
撮影:加藤ショウ、おのしの、千葉正人、蔵楽友美
蔵楽友美
ファイブス一級建築士事務所代表 一級建築士(大臣登録第302115号) インテリアデザイナー 国士舘大学理工学部建築学科非常勤講師 大阪府立北野高等学校卒業、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業、同大学院修了。 2001年芦原太郎建築事務所、2005年アシハラヒロコデザイン事務所を経て2011年よりフリーランスとして活動、2013年5月5日FIVES設立。 2015年より国士舘大学理工学部建築学科非常勤講師 2017年 The PLAN Award 2017 Villa部門 入賞(Villa-M、国広ジョージ氏と共同設計)
本編はこちら【広尾の家】