建築家住宅手帖のサイトを見たかたから、たくさんの問いあわせがあります。きっと期待に胸を膨らませて、あるいは恐る恐る、メールをしているのかも知れません。

現地を訪れ、その住宅の扉を開き、空間を味わいます。そしてその新しいオーナーになろうと決断するまでは、みなさんそう長い時間を要しないようです。ただ、とてもおおきな買い物です。私たち専門家も説明を尽くしますが、それだけでは足りません。建築家住宅手帖では、実際に住宅のオーナーとも話し、その住宅の成り立ちから、使いかたにはじまり、ご近所さんのことや、まちのお店についても聞きます。

そのシーンは、お互いとても楽しそうですが、前オーナーはすこし寂しそうでもあります。複雑な気持ちですが、そこに立ち会えたら本当に私たちも嬉しい限りです。 そう、引き継がれるものは、不動産(土地と建築物)だけではありません。 前オーナーが、昔を思い出して懐かしそうに話す、出来事や背景。 それらも含めて、まるごと新オーナーに引き継ぐ。それを「継承」と言うのかもしれません。

しかし日本の不動産の商慣習では

しかし 残念ながら 日本の不動産売買の取引現場では、売買契約が成立するまでは前オーナーと新オーナーは、じっくり話す機会がないことが多いと思います。

なぜなら、不動産取引の商慣習では、売主と買主というのは、売買価格だけではなく、契約上の期日や多数の条件の対面にいる取引相手(利益相反する関係と言います)ですから、契約書がまとまり、お互いに調印するまでは会わないという考え方があるのは確かです。

別の言い方をすると、取引上のリスクマネジメントが優先されてしまって、そのストーリーの引き継ぎは、うまく行けば最後に付加的に行われ、うまく行かなければ行われません。例えば不動産会社が、中古建物を買い取ってから、再販売する場合などは、ほぼ昔の記憶は途切れてしまうでしょう。やむを得ないことではあります。

不動産会社によるそうした手順が、間違っているわけではありません。不動産仲介の専門家は、その業務の進化の過程で、ある合理性に至った結果、そのようにしている訳です。

しかし建築家住宅というのは、売主にとっても、買主にとっても、ただ合理的な存在ではありません。建築が生まれたその瞬間だけでなく、その後の長い年月も含めて、建築家住宅だろうと考えています。

長く生きてきた建築に価値がある理由

例えば、建築家の関本竜太さんが設計した、埼玉の住宅が引き継がれるとき、売主と買主の女性たちの後ろ姿は、本当に古くからの友人のようだったと聞きました。関本さんの、光あふれる優しい住宅空間と共に、そこで起きたことや、近所のことなどが語られている間は、私たちもまるで同じ時代を生きたように錯覚してしまいます。

また、フランク・ロイド・ライトの最後の日本人の弟子だった、遠藤楽さんが設計した、東京の住宅が、若い建築家たちのシェアハウスに生まれ変わろうとしていた、まさに不動産契約の直後、持ち主から彼らへ、不動産の重要事項説明と同じくらい長い、まちのストーリー(主に地域になじんだカフェやお店の話)は、シェアハウスの住民たちは本当に聴きたい話に違いありません。

建築家のNAPの中村拓志さんの火の山のツリーハットは、まだ竣工して3年という短い期間で、次の所有者の手に引き渡されましたが、元々の作り手であり管理者であった方の、この建物についての取扱い説明に加えて、一風変わったコンセプトの建築をつくる敬意や、苦労や想いも合わせて継承されたと思います。

まとめ

日本ではもう長いこと(現在の不動産取引が形作られてからずっとですからもう50年以上ですね)、長く愛された建物よりも、更地か新築の住宅が不動産取引のほとんどでしたから、不動産市場全体が、それに慣れ切ってしまっています。

だから、思い出のある建物が、オーナーからオーナーへと継承されるというのは、まだ苦手と言って良いと思います。ただ、欧米では築100年を超える建築が当たり前に住み継がれていますが、当然、何度も所有者が入れ替わっています。

そして、古いものには経済的な価値があると、売主も買主も、建築会社も不動産会社も、金融機関も、みんな信じています。いまようやく、日本にもそういう文化が目の前までやってきています。「古い建物を買ってリノベーションしたいんですけど」というオーナーが、増えているのです。

その古いものがなぜ価値を帯びるのかというと、やはり自分の生きてきたよりも、もっと長い時間を過ごしたものがそこにある、というのが豊かだからだと思います。

 

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