物件解説
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から、祖師谷通りを北へ15分ほど歩くと、設計した建築家と住まい手の芸術家夫妻の想いの詰まった住宅が姿を現します。この住宅を設計したのは、建築家 白井晟一(1905-1983)です。
1959年に竣工したこの住宅は、62年の時を経て、白井晟一の令孫、建築家 白井原太氏の手によって、オリジナルへの丁寧な保存再生改修が行われました。現在新たな歴史を刻むべく、新たな住まい手を捜しています。
建築家 白井晟一は、京都生まれ。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)を卒業後、渡独。ハイデルベルク大学及びベルリン大学において近世ドイツ哲学を学ぶ傍ら、ゴシック建築について学びます。戦後モダニズム建築全盛の風潮に背を向け、哲学的と称される独自の 建築を生み出していきました。そして白井氏が59歳の時に手がけたのが、この「増田夫妻のアトリエ」です。白井氏は、芸術家のアトリエ兼住宅のいくつかにNo.をつけて発表していましたが、この住宅にはNo.はつけられていませんでした。増田夫妻の名前がそのままつけられいることからも分かるように、白井氏と増田夫妻との関係性が特別なものであったことを物語っています。原太氏によれば、白井氏と増田夫妻との出会いはなんと、近所の銭湯でした。
煙突が特徴的な西側立面
改修のきっかけとなったのは、2年前のこと。増田夫妻の姪御さんへ原太氏が入れた一本の電話でした。増田夫妻がお亡くなりになり、2人が大切にしてきたこの家の相続を受け、どうしたらよいか、という漠然とした相談を、姪御さんが現在の売主であるエスジーマックス社へ相談していた時でした。
原太氏自身、生前の増田夫妻から、「あなたのお祖父さんに、こんなに素敵な家を設計してくださってありがとうって、毎日手を合わせているのよ」と嬉しそうに話して下さったことがずっと心に残っており、なんとかしたい、という想いが強く、原太氏は遺品整理から手伝います。整理をする中で出てきた当時のアルバムには、芸術家ならではの視点で、職人達の息遣いそのままに、施工中の写真や、当時のこの家での思い出が美しく残されていました。この写真が、のちに保存再生改修の大きな手掛かりとなりました。
この住宅がどれだけ住まい手に愛され続けてきたかは、残されていた写真の数々が物語っていました。
吹き抜けとアトリエ。天井は1950年代の白井晟一の住宅作品で多く使われている蒲ゴザ
長い年月の中で、メンテナンスしにくかったところ、気になっていたところはしっかりと改修し、1階には床暖房を増設する等、現代の暮らしやすさはしっかりと保ちつつ、建築家 白井晟一が、何を想い、何を感じ、何を考えて設計したのかに想いを馳せ、可能な限りオリジナルに近い形に再生していきました。原太氏は、どこからが改修部分で、どこからがオリジナル部分なのか、線引きをすることが出来ないようなリノベーションを心掛けたといいます。「地味で尊い、魂を繋ぐリノベーション」そう話す原太氏の改修は、祖父である白井晟一との、長い年月を越えた、言葉なき対話でもありました。原太氏が10歳の時、祖父である白井晟一は亡くなり、建築の話をしたことはなかったそうですが、原太氏が生まれ育ったのは、祖父の設計したアトリエNo.5であり、知らずのうちに、日々の暮らしの中から、祖父である白井晟一の設計理念を体感していたのかもしれません。
家の間取りはいたってシンプルです。LDK兼アトリエの1階と、8畳の寝室のある2階で構成されています。
北側採光は、直射日光を避け、かつ安定的な明るさを室内へともたらします。様々な作品をつくるアトリエには、必要不可欠な窓です。
建築当初から壁に取りつけられていた彫刻。実はこれ、暖炉を設置するために予め開けられていた煙突へと繋がる穴を塞いでいたのです。結局、暖炉が設置されることはなく、今も当時のまま、彫刻が飾られています。下には、色鮮やかな増田欣子さんの作品も飾られています。
2階の畳部屋。建築当時、窓の外は雑木林でした。角に置かれたスタンドライトは、かつて吹き抜け部分に吊るされていたペンダントライトを、スタンドライトへと生まれ変わらせました。
1階浴室。天井のR加工やタイルの色は当時を踏襲しつつ、現代の暮らしにも不自由のないよう新たに改修されています。
当時の玄関ポーチと、力強く建つ無垢の木柱。木部の色は、残されていた8mmビデオの中から忠実に再現されています。
時を経て存在し続けてきたものに対し、慈しみをもって手入れをし、更に価値を付加するような土壌を日本でも醸成していきたい、そんな住まい手と創り手の想いをカタチに残すことを実現させたのが、現在の売主でした。
62年の時を経て生まれ変わった増田夫妻のアトリエ。日常に慈しみをもって暮らすことの豊かさを、あなたもここで味わってみませんか。
公開日 : 2021年07月19日 / 更新日 : 2021年07月19日
取材・文: 安藤美香 / 撮影: 千葉正人