物件解説
成城学園前駅から北へ。小田急線の開通、そして成城学園の移転以来、数多くの建築家住宅が建てられてきた世田谷区成城を10分ほど歩くと、この住宅は現れます。
圧倒的存在感を放つ2枚の壁。そしてその間から突き出した5本の柱。一見すると、美術館や記念館のような佇まいをしたこの建物は、日本が誇る巨匠・安藤忠雄が設計した、ファッションデザイナーの父と、その子世代の兄と妹のための3世帯住宅です。
まずは子世代、お兄さんの住居にお邪魔してみましょう。この家は路面の店舗スペースと、2つの寝室がある家です。
全ての住戸が接しているこの中庭に、直接出ることができるのはこの家だけです。高い壁が強い直射日光を遮る一方、中庭を介して柔らかく光が取り込まれ、明るく、落ち着いた、心地よい空間です。
リビング・ダイニングからは中庭と桜の木がよく見えます。住宅の多い成城ですが、周りを囲む壁が周囲の音や視線を遮り、中庭はプライベート性の高い外部空間です。周囲に気兼ねする必要がないので、伊東さんご家族はしばしば、ここでのBBQをされたそうです。
1階の路面側に位置する店舗スペースでは、お父さんと同じくファッションデザイナーをされているお兄さんが、衣服の立体裁断や縫製の教室をしています。建築された当初は、お兄さんの奥さまが、ブティックをしていたのだそうです。
2階には寝室が2室あり、1室はテラスに、もう1室は中庭に面しています。こんなに大きな窓がある部屋なのに、周りの家からも、この家の別の部屋からも視線を受けることはありません。
つづいては妹さんの住居にお邪魔します。玄関から中へと足を踏み入れると、こちらは白い空間が目に飛び込んで来ます。
この家には3つの寝室があります。伊東邸の中で、最も北側にあるリビングですが、天井のスリットから白く塗られた壁を伝い、光がこの部屋全体に拡がっています。吹き抜けになった広いリビングの解放感と、湾曲した壁にやさしく包み込まれるような感覚は、この家ならではの魅力です。
妹のSさんはこう話します。
「3つの家があるなかで、打ちっぱなしじゃないのは、実はこの家だけなんですよ。夫が『打ちっぱなしはそんなに好きじゃないなあ。。』なんてポロっと言ったんです。でも安藤さんにお願いしているので、打ちっぱなしでもしょうがないかなあ、なんて思っていました。そうしたら、いつの間にか白くなっていました。安藤さんは、ちょっとした発言も大切に聞いて覚えてくださっていたんです。」
この家のダイニングの隣には、桜の木のある中庭とは別の、もう一つの中庭があります。大きな引き違い窓がダイニングと中庭に一体感を与えていて、とても広く感じます。
「ここでお風呂上りにビールを飲んだり、アイスを食べたりするのは最高です。この壁があるので、外なのに周りの目を気にする必要もありません。」
1階の寝室からは中庭と桜の木を見ることができます。お兄さんの住居から見えるのと同じ中庭なのに、不思議と全く違う見え方をしています。中庭は植栽で立ち入れる範囲が緩やかに区切られているので、自分だけの庭のような落ち着きがあります。2階にはかつて子供部屋として使われた、2室の個室があります。
そして最後はいよいよ親世代の住居へ。
この家は外の円弧状の壁を伝うように階段を上った先にある、2・3階の住戸になっています。
リビングは南側全面が窓になっていて、空間のダイナミックさに目を奪われます。中庭に面するこの部屋からは桜の木が最もよく見え、季節の移り変わりを楽しむことができます。
伊東邸の最上階である3階には、お父さんの寝室があります。周囲にはこの部屋よりも高い家はありません。この家を囲む2枚の壁の上に突き出たこの部屋からは、成城の景色を一望することができます。
寝室の外にあるテラスへ。夏には夜風が気持ちよさそうなこのテラスからは、近隣の花火大会を見たそうです。
伊東さんご家族と建築家のストーリー
この家を設計した建築家・安藤忠雄は1941年大阪生まれ。元プロボクサーという異色の経歴を持ち、かつて野武士世代と呼ばれたこの建築家は、日本建築学会賞、アルヴァ・アアルト賞、プリツカー賞、AIAゴールドメダル賞など、国内外の数々の賞を受賞してきた、日本建築界が世界に誇る巨匠です。
表参道ヒルズの設計、東京スカイツリーのデザイン監修を行った他、作品は美術館や公共施設、教会、商業施設など多岐にわたっています。大胆かつ洗練された幾何学によって形作られた緊張感のある空間と、装飾を排した鉄筋コンクリートのマッシブな建築が特徴です。住吉の長屋(1976)、城戸崎邸(1986)などの名作住宅も手がけています。
三世帯での家づくりのきっかけは、ひょんなことから始まりました。妹のSさんはこう語ります。
「はじめは、兄が結婚したのをきっかけに、敷地内に別棟で家を建てる、という話だったんですよ。でも途中で父がそれがうらやましくなってしまったみたいで(笑)自分はなんで古い家に住むのに、息子の新しい家が敷地内に建つのかという思いが芽生えてきて、じゃあ一緒に建てようか、という話になったみたいなんです。最初は私はそこには参加していなくて、自分たち家族は自分たちで別に家づくりをするつもりでした。
設計の打合せが煮詰まっていたある時、安藤さんから、『二世帯じゃなくて三世帯つくってみませんか?』と提案があったらしいんです。でも父は『他人に貸すのは嫌だ』と言って渋っていました。そこで私が『じゃあ私が住む!』と手を挙げたんです。」
伊東さんご家族、特にお父さんは、設計についてはほとんど口を出さなかったといいます。
「安藤さんは『あなたたちは何が欲しいんですか?』とお聞きになって。そこからは父、兄、私の家の位置関係や何かも、ほとんどお任せでした。父はファッションデザイナーでしたから常々『ああしてほしい!こうしてほしい!だなんて、専門家に細かい指示を出すものじゃない』と言っていました。そうした考え方が、家づくりを安藤さんに依頼するときにも反映されていたんです。」
平面に中心性がなく、分散的にも見える伊東邸ですが、実は3つ全ての住戸から、敷地南東隅にある、おおきな桜の木が見えるように設計されています。
「中庭に残された桜の木を中心にして3戸の住宅と一つのブティックは展開する。この桜の老木は、人々がこの場所に共同で住んでいることの象徴である。(GA ARCHITECT 12 TADAO ANDO 1988-1993)」
桜の木をこの家の中心として設計した理由を、安藤さんは次のように語っていたと、Sさんは話してくれました。
「この桜は、昔からずっとこの場所にあった、家族の成長を見守ってきた木だから。」
この家の建設から30年、伊東さんご家族は、ほとんど建設当初の姿のまま、この家を大切に使ってきました。しかし、お父さまが亡くなり、孫たちも独り立ちした今、兄夫婦、妹夫婦だけで、この大きな家を維持していくのは大変になってきたのだと、Sさんはいいます。
「片づけをしていて知ったんですが、安藤さんは父とずっと手紙のやり取りをしていたみたいなんですよ。季節のご挨拶とか、旅先からの絵葉書とか本当にたくさん。ですから、こちらを売るという話になった時、私たちからも安藤さんにお手紙を出したんです。『この建物を愛してくださる方に、お譲りしたいと思っています』って。」
日本が誇る巨匠建築家と、3つの家族に愛された家、伊東邸。様々な想いを携えて、この家は次の住まい手を待っています。
公開日 : 2020年12月23日 / 更新日 : 2020年12月23日
取材・文: 川原聡史 / 撮影: 千葉正人