前編に引き続き、神奈川県横浜市に建つ笹沼邸の施主である笹沼さんへのインタビュー後編をお送りします。
笹沼邸の詳細は、こちら。
前編の記事をまだお読みではない方はこちら。
家が「普通じゃない」ことで、価値観が変わった
佐竹 では、大変だったことも含めて6年間暮らした今、建築家と家を建てて一番良かったと思うことは何なのでしょう。
笹沼 ひとつは、友達を呼ぶとすごく喜んでくれることですね。「すごい!」って言って、楽しい気持ちになって、一緒にくつろいでくれる。
それは嬉しいです。でも、もうひとつ大きいのは、自分も家族も、ちょっと価値観が変わったことだと思います。
家が「普通じゃない」ことによって、意識が変わったというか。
佐竹 例えば?
笹沼 うちって、いわゆる玄関がないじゃないですか。普通は「家には玄関がある」と思いますよね。でも、「なんで? 本当に必要なんだっけ?」って。
そういうことを考えるようになる。それは家だけじゃなくて、「みんな普通にやっているけれど、これって本当に必要なんだっけ?」と考えることにもつながっている気がします。
普通の枠組みとは違うところから物事を見る、みたいな。マンションに住んでいたら、なかなか「普通」という枠から外れられなかったんじゃないかな。
笹沼邸は、一般的な住宅のように玄関、廊下、リビング、個室を順番に並べた住宅ではありません。賃貸住戸の間を縫うように、床の高さの異なる場所を行き来しながら生活します。
建築そのものが、一般的な「住宅とはこういうもの」という形式から少し外れている。
だから、その家で毎日暮らしているうちに、家以外の「当たり前」に対しても疑問を持つようになったという笹沼さんの話は、とても興味深く感じました。
佐竹 毎日暮らす場所そのものが、当たり前を疑うきっかけになっている。
笹沼 そうかもしれないですね。
明確に「これが変わった」と言えるわけじゃないんですけど、
人生は変わったんじゃないかなっていう気がしているんですよね。ポジティブな方向に。
夏の夜、軒下でビールを飲む
そんな笹沼さんに、6年間暮らした今、一番好きな場所や時間を聞いてみました。
笹沼 この間もやったんですけど、前庭にプールを出して、子どもたちを遊ばせながら、夜に自分も足を水につけてビールを飲むんです。
あれはいいですね。軒下だから直接日が当たらないし、ほどよく風も抜ける。
佐竹 あそこはダイニングともそのままつながっていますよね。料理をしていても子どもたちが見える。
笹沼 そうですね。あそこは好きです。
笹沼邸では、オーナー住戸の一部が持ち上がることで、その下に屋根のある外部空間がつくられています。
設計時には、自宅と賃貸住戸を組み合わせた結果として生まれた「ピロティ」や「軒下」と説明できる空間です。
実際、そのピロティについては、後年、建築家の武井誠さんらによる建築的な考察の対象にもなっています。しかし、住まい手にとってのその場所はもっとシンプルです。
子どもがプールで遊び、自分はビールを飲む。設計時の「建築」は、6年を経て完全に「暮らし」に変わっています。
北澤さんは、思っていたより「話を聞いてくれる人」だった
笹沼邸を設計した北澤伸浩さんは、大学院修了後、妹島和世さんと西沢立衛さんによる建築家ユニットSANAAの事務所に約11年間在籍しました。
SANAAは、住宅から美術館まで国内外で数多くの建築を手掛け、2004年の金沢21世紀美術館などでも知られる建築事務所です。
そんな経歴もあって、笹沼さんは家づくりを始める前、「建築家は自分の作品性を強く押し出す人なのではないか」というイメージを持っていたと話します。
佐竹 実際に家を建てる前と後で、「建築家」に対する印象は変わりました?
笹沼 変わりましたね。もっと建築家さんって、「自分の個性をドーンとやらせろ」みたいな感じなのかなと思っていました。
もちろん北澤さんのキャラクターもあると思いますけど、実際は全部話を聞いてくれる。その中でも特に大事な希望を拾って、自分のスタイルも崩さずに、いい落としどころで具現化してくれる。全部こちらの要望通りにしたら、どんどん最大公約数的な普通の家になっていくと思うんです。
でも、そうならない。「そんなこと考えなかったな」とハッとすることが何度もありました。
間取りや窓の位置もそうですし、「もうこれ、行き詰まったかな」と思ったところから、すごくいい解を見つけてくれる。
図面の段階でも、実際にものができてからも、そういう驚きは何度もありました。
「これ終わった……」が、家の個性になる
その象徴的なエピソードが、トイレの曲面状の扉です。
笹沼 最初はやらかしなんですよ(笑)。もちろん途中で変更あったりという経緯なのですが便器の形を違うものとして図面化していて、実物を入れたら思っていたより大きかった。
「これ、もうピチピチじゃん」って。普通の扉だと足が入らない。それで、足が入るように扉をRにしてくれたんですよね。
佐竹 結果的に、ものすごく特徴的な場所になりましたよね。
笹沼 そうなんです。「これ終わった……」みたいなところを、うまく着地させてくれる。
しかも結果的に、前より良くなったりする。そういうものが、この家には随所にありますね。
完成された建築だけを見ていると、すべてが最初から意図され、迷いなく設計されたように感じてしまいます。
でも実際の家づくりには、間違いや予算変更、施工上の問題など、いくつもの想定外が起こります。
それを「失敗」として処理するのではなく、新しい空間の特徴へと変えていく。
笹沼さんにとって、そこにも建築家に依頼する価値がありました。
家づくりは楽しい、でもそればかりではない。
佐竹 建築家との家づくりって、経験としてずっと楽しかったですか?
笹沼 いや、最初は楽しいですよ(笑)。言いたいことを言って、要望を出している時は。
問題は、お金が上がってきた時ですね。そこから、やりたかったことを削っていくじゃないですか。
設備をなくしたり、窓を小さくしたり、数を減らしたり、建物を小さくしたり。
どんどんシュリンクしていって、「これ、本当に楽しい家になるのかな」と思う。
素材を変えるくらいならまだいいんですけど、建物のボリュームみたいに暮らしそのものに影響するところにメスを入れるのはつらいですね。
しかも、そこまで削っても予算に入るか分からない。あの時期は苦しかったですね。
笹沼邸の設計期間は2018年4月から10月まで。工事は同年11月に始まり、2019年5月に竣工しました。
設計は北澤伸浩建築設計事務所、構造設計は平岩構造計画、施工は21世紀工務店。
土地探しや資金計画、不動産仲介には創造系不動産が関わっています。
一軒の住宅が完成するまでには、建築家と施主だけではなく、構造設計者、施工者、不動産会社など、多くの人が関係しています。
理想と予算、設計と施工。その間を何度も行き来しながら、ようやく建築になっていきます。
家を建てて、建築家という仕事を尊敬するようになった
インタビューの中で特に印象的だったのは、笹沼さんが自分の家の良し悪しだけではなく、「建築家という職業そのもの」について何度も話していたことでした。
笹沼 僕、建築家さんをすごく尊敬しているんですよ。建築家って、アーティストでもないし、理路整然とロジカルにやるだけの仕事でもない。
その間にいる感じがするんです。自分を表現しながら、依頼主が期待するものをちゃんとつくって、お金をいただく。
図面も描けないといけないし、お金の計算もできないといけない。施主とコミュニケーションも取れて、工務店ともちゃんとやり取りしないといけない。
プロジェクトをマネジメントする力もいるし、もちろん設計する力もいる。すごく多技能ですよね。
11年間SANAAで設計に携わった後に独立し、自身の設計事務所を始めた北澤さん。
笹沼さんは、友人として建築家を知っていただけでなく、自分自身が施主となり、一緒に予算に悩み、設計し、施工現場で問題を解決していく過程を間近で見ることになりました。
笹沼 それだけいろいろな能力を持った人が建築家の中にはたくさんいるのに、社会的には必ずしも十分評価されていないように感じます。
もっと評価されて、安定した環境の中で、自分たちがやりたい建築に力を注げるようになったらいいなと思うんですよね。
自分の家を一軒建てた経験が、「建築家という仕事を応援したい」という思いにまでつながっている。
それは今回のインタビューで、少し意外でありながら、もっとも印象に残った部分のひとつでした。
「設計料以上の価値はある」
最後に、これから建築家との家づくりを考えている人に、何を伝えたいかを聞きました。
笹沼 ライフプランも含めてちゃんと考えたうえでやれば、建てて後悔することはないような気がします。
家をつくることって、自分のこれからを考えるきっかけになると思うんです。
なんとなく「相場がこれだからマンションを買おう」と決めるのではなくて、土地を安くするために郊外へ行くのか、土地は小さくても都心にするのか。
何にお金をかけて、何を諦めるのか。ずっと取捨選択を迫られるじゃないですか。
建築家との対話を通して、本当に自分が大切にしたいもの、人生の優先順位みたいなものが研ぎ澄まされていくような気がします。
そして、建築家に依頼することを検討する時、多くの人が気になる「設計料」についても笹沼さんは話します。
笹沼 建築家に頼めば、当然、設計費という面では高くなるかもしれない。でも僕は、それを補うだけの価値は絶対に提供してくれると思っています。
例えば、ほかでは5%くらいの設計費だったものが15%になったとしても、それ以上の価値を提示してくれるんじゃないかと思う。
最大公約数の設計をしていれば、大きな失敗もない代わりに、びっくりするような工夫もなかなか生まれない。
ゼロのところから考えて設計するからこそ、何度もブレイクスルーがある。僕はそこに、すごく価値を感じています。
最初から「普通」にしない
インタビューの最後、奥様の久美子さんにも話を聞きました。
久美子さん せっかく建築家と一緒につくるんだったら、最初はのびのびつくってもらったらいいんじゃないかなと思います。もちろん、現実とのバランスは大事です。
うちも夫の理想と、私の現実的な部分との折衷案みたいなところがありました。でも、最初からバランスばかり考えてしまうと、普通の家になってしまう。
最初はのびのび要望を伝えて、いろいろ考えてもらう。最後にバランスを取る。それくらいがいいんじゃないかな。
6年経って、建築は「暮らし」になった
笹沼邸は、建築作品として見れば特徴の多い住宅です。
旗竿敷地。オーナー住戸と2つの賃貸住戸。少しずつずれて配置された部屋。立体的に連続するワンルーム。
住人同士の気配を残しながらプライバシーをつくる窓。そして、一般的な住宅にはあるはずの「玄関」がない。
『住宅特集』に掲載され、建築メディアで取り上げられてきた住宅でもあります。
けれど、6年暮らした笹沼さんの話を聞いていると、それらはもう「作品の特徴」ではなくなっています。
前庭では子どもたちがプールで遊び、その横で笹沼さんがビールを飲む。
入居者とは顔を合わせれば挨拶をする。
ときには実家から届いたメロンをおすそ分けする。
子どもが走れば下の住人に音が響くこともある。
洗濯機を回す時間を気にすることもある。
設計時には図面の中にあった少し変わった建築が、今では完全に家族の日常になっています。
土地探しから始まり、予算に悩み、賃貸併用住宅という方法を選び、設計中には何度も行き詰まった。
だから、笹沼邸の話は「建築家と家を建てれば、すべてが理想通りになる」という話ではありません。
むしろ、思い通りにならないことが何度も起こっています。
そのたびに、建築家と一緒に考える。
何を残し、何を諦めるのか。
別の解決方法はないのか。
そもそも、自分たちにとって本当に必要なものは何なのか。
それを繰り返してつくった家に6年間暮らした結果、笹沼さんの中には、家だけではない変化が生まれていました。
「玄関って、本当に必要なんだっけ?」
「みんなが普通にやっていることって、本当に必要なんだっけ?」
家をゼロから考えた経験が、いつの間にか、その外側にある「普通」を考え直すことにもつながっていた。
「明確に何が変わったとは言えないけれど、人生は変わったんじゃないかな」
笹沼さんがインタビューの途中で何気なく口にしたその言葉が、建築家と家をつくることの価値を、一番よく表しているように思います。
家を建てることは、自分たちに合った空間を手に入れることだけではない。
自分たちはどう暮らしたいのか。
何を大切にしたいのか。
当たり前だと思っているものは、本当に自分たちに必要なのか。
建築家と一緒に家を考える時間は、そうした問いを通して、自分たちの人生そのものを考え直す時間にもなる。
笹沼邸での6年間の暮らしを聞いていると、そんなことを感じました。
笹沼邸|建築概要
所在地:神奈川県横浜市
主要用途:長屋(オーナー住戸+賃貸住戸2戸)
構造:木造・在来軸組工法
規模:地上2階
敷地面積:187.85㎡
建築面積:78.79㎡
延床面積:159.60㎡
設計期間:2018年4月〜2018年10月
工事期間:2018年11月〜2019年5月
設計:北澤伸浩建築設計事務所/北澤伸浩
構造設計:平岩構造計画/平岩良之
施工:21世紀工務店/古岡優典, 阿部隼
不動産:創造系不動産/佐竹雄太(現アラウンドアーキテクチャー)
掲載:『住宅特集』2019年10月号、『GA HOUSES』165号
photo:北澤伸浩建築設計事務所(サムネ)
北澤伸浩|プロフィール
1983年長野県生まれ。2006年千葉大学工学部デザイン工学科(建築)卒業。2008年慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。同年より2019年までSANAAに勤務。2018年、北澤伸浩建築設計事務所設立。

